日本歴遊記vol.16
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最上家三代の墓がある「山形」へ歴遊旅をしてきました。
戦国の乱世を生き、出羽100万石と讃えられた黄金時代を築いた英雄「最上義光」と山形城についと触れてから「光禅寺」を目指します。
※最上家が所有していた石高には諸説ありますが、徳川家康の朱印状が存在していなく、定かではありません。57万石はあくまでも表高であり、内高は100万石に近かったと言われています。
最上義光(もがみよしあき)
目的のためなら手段を選ばぬ冷血漢という程の出羽一の策士。後世には、えげつない印象がある義光ですが、山形では、英雄としてまたは文化人としても伝えられています。11代城主で最盛期には、57万石の領地を支配して栄えました。出羽山形藩の初代藩主。独眼竜「伊達政宗」のお母さんのお兄ちゃん(叔父さん)にあたります。鮭様と呼ばれる程、鮭が好きだったと。当時、鮭は高級魚だったようです。
写真は1年前の夏に訪れた時のものです。
霞城(山形城)
※国の指定史跡
1356年に羽州探題として山形に入部した最上家初代「斯波兼頼(しばかねより)」が1357に築城。出羽の関ヶ原合戦「長谷堂合戦」で城郭が霞で隠れたことから「霞ヶ城」とも呼ばれたようです。
写真は1年前の夏に訪れた時のものです。
光禅寺(こうぜんじ)
▼縁起
慶長7年(1602年)、山形城の城主「最上義光」が、春林禅冬和尚を招いて創建しました。元は慶長寺という名前でしたが、最上家親(もがみいえちか)の時代に光禅寺と改めました。義光の戒名「光禅寺殿玉山道白大居士」に因んで光禅寺という寺号になりました。
▼創建
慶長7年(1602年)
▼山号
天龍山
▼寺号
光禅寺
▼開基
最上義光
▼宗派
曹洞宗
本堂
最上家三代の墓
最上義光(享年69歳)
最上家親(享年36歳)
最上義俊(享年26歳)
光禅寺庭園
「心字の池」(市の名勝指定)
山形県内で最も古い庭園のひとつ。
出羽国の山形巡り。
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