日本歴遊記vol.10
#歴遊旅 #御王神社 #猪 #和気清麻呂 #和気広虫姫 #足腰の守護神 #京都
和気清麻呂を祀る「御王神社」へ歴遊旅をしてきました。
足腰の守護神という事で、怪我をしてしまった足の治癒祈願で訪れました。
京都御所蛤門の道路を挟んだ向かえ側に位置し、大河ドラマの影響もあり、蛤門は、人集りが多いのですが、御王神社は、人も少なく落ち着きのある小さな神社です。
鳥居の前には、狛犬ならぬ「狛いのしし」が構えてます。
※雄雌一対の霊猪像(れいちょうぞう)
足腰の大御守りの下をくぐり、境内に入ります。
和気清麻呂(ワケノキヨマロ)
奈良時代末期から平安時代初期にかけての貴族。
桓武天皇に遷都を進言し、平安京の都造りを推し進めました。
和気広虫姫(ワケノヒロムシヒメ)
▼清麻呂公の姉君。
早くから宮中の女官として仕え、清らかで慈愛心の深い人柄から、孝謙天皇をはじめ歴代の天皇から厚く信頼されました。戦乱で生じた83人もの孤児たちを養子として育てられました。
〜御王神社について〜
▼御由緒
創建の時期は不明ですが、御王神社(ごおうじんじゃ)は、はじめ洛西の高尾山神護寺の境内に和気清麻呂の霊社として祀られ、古くから「御王善神」と称していました。明治7年(1874年)、明治天皇の勅令により、神護寺境内から京都御所蛤門前の現在地に社殿を造営し、御遷座されました。
御祭神
①和気清麻呂公命(ワケノキヨマロコウノミコト)
②和気広虫姫命(ワケノヒロムシヒメノミコト)
御利益
足腰の病気けがが平癒、足腰の安全健康、スポーツ安全上達
霊猪手水舎
鼻をなでると幸せになる「幸運の霊猪」
足腰の御守り
清麻呂が都より九州の宇佐八幡へ向かわれた際、不思議な体験をし、清麻呂が悩んでいた足萎え(あしなえ)が治った、という故事により、足腰の御利益があると篤く信仰されています。
いのしし神社のおはなし
奈良時代、弥徳天皇の御台、法王となって権勢をふるっていた「弓削道鏡」は、天皇の位をわが物にしようと、「自分を皇位につかせたなら、天下は太平になると宇佐八幡より御神託(神様のお告げ)があった」とウソをつきました。天皇から御神託が本当かどうか確かめてくるよう命を受けた和気清麻呂は、九州の宇佐八幡(大分県宇佐市)行き、御神前に「真意を示したまえ」と叫びました。すると、光の中から宇佐の大神が現れ、
「天皇の後継者には、必ず皇族の者を立てなさい。無道の者は、早く追放してしまいなさい。」
と御神託を下されました。
都へ帰った清麻呂は、この事を天皇に報告し、道鏡の野望を暴きました。道鏡の怒りをかった清麻呂は、大隅國(鹿児島県)に流される事になり、その旅の途中、道鏡の放った刺客に襲われ、足の筋を切られてしまいました。それでも、清麻呂は皇室の安泰を守られた事を感謝するため、宇佐八幡へ立ち寄る事にしました。そして、一行が豊前國(福岡県東部)にさしかかった時、どこからともなく現れた三百頭もの猪が現れ、清麻呂の神輿の周りを護りながら、十里(約40km)、宇佐までの道中を案内してくれたのです。清麻呂を悩ませていた足の痛みも不思議と治っていました。
1年後、弥徳天皇の崩御により、道鏡は失脚すると、清麻呂は、都へ呼び戻され、晩年まで世のため人のために尽くしました。
〜お札に描かれた御王神社〜
▼甲10円券
和気清麻呂の肖像が描かれた他、京都「御王神社」の拝殿が描かれました。
裏面には、和気清麻呂の守護獣であるイノシシが描かれ「裏イノシシ」と呼ばれて、広く国民に愛されました。
▼乙10円券
日本紙幣で唯一の左肖像のお札。
右に御王神社の本殿が描かれています。
▼丙10円券
昭和5年発行、戦前で最も色数の多い本格的なお札。裏面中央に凹版印刷で御王神社の本殿が描かれています。
▼ろ10円券
戦争の激化にともない印刷方式が簡略化された時代のお札。オフセット印刷で描かれた御王神社の本殿。
▼い10円券
管理通貨制度以降後に発行されたお札。
凸版印刷で本殿が描かれています。
京都巡り。
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