日本歴遊記vol.9
#歴遊旅 #多賀大社 #豊臣秀吉 #犬上御田鍬 #滋賀
滋賀県犬上郡多賀に鎮座する「多賀大社」へ歴遊旅をしてきました。
「高宮」という駅から電車で向かったのですが、某アニメに出てきそうなレトロな雰囲気が漂う駅のホームです。
日の暮れかけた夕方からの参詣となったこともあり、まるで現世とは違う世界に行ったような感覚で、街にも最小限の灯りしかついていなく、静かな町です。
犬上氏
奈良時代以前、この一帯は、豪族・犬上氏が支配しており、この地に祖神を祀ったとの説があるようです。犬上氏は、飛鳥時代の遣隋使や遣唐使として知られる「犬上御田鍬(いぬがみのみたすき)」に始まります。この犬上氏は、犬上郡の名前の由来とされています。遣隋使で有名なのは、小野妹子だと思いますが、最後に派遣された遣隋使の1人が、犬上御田鍬です。小野妹子も滋賀県の出身(大津市)と言われております。この時代の重要な外交官です。遣隋使御一行は、大阪の住吉大社近くの住吉津から出発していました。
生命の神様「お多賀さん」〜多賀大社について〜
▼御由緒
創建の時期は不明ですが、多賀大社は、古くから「お多賀さん」の名で親しまれている近江國一番の大社です。
鎌倉時代から江戸時代にかけては、武家や民衆にも信仰が広まり、多賀大社の分祀社は全国239社を数えます。
御神木「三本杉」
国生みの大業を終えられた伊邪那岐大神は高天の原からこの峠に天降られ、休息をなさった時に、土地の老人が粟の飯を献上しました。大神はご機嫌麗しくお召し上がりになり、食後その杉箸を地面に刺したところ、その杉箸が根付き今見るような大木になったといわれています。(大社から約6キロ離れています。)
御祭神
▼日本国の祖神(おやがみ)様
男女の御二柱は、日本の国土、続いて天照大神をはじめとする八百万(やおよろず)の神々をお産みになられました。
①伊邪那岐大神(イザナギノオオミカミ)
②伊邪那美大神(イザナミノオオミカミ)
御利益
延命長寿、縁結び、厄除け
太閤橋
1538年、豊臣秀吉は、「3年、それがだめなら2年、せめて30日でも」と母の延命祈願をし、成就したため社殿改修を行い大名に与えるに等しい1万石を寄進しました。境内正面の石造りの太鼓橋は、「太閤橋」の雅名でも呼ばれます。
多賀杓子
元正天皇の病気に際し、神主が強飯を炊き、しでの木で作った杓子を献上、天皇はたちまち治癒されたと伝え、そのしでの木が現存する飯盛木で、杓子は「お多賀杓子」として有名で、お守りとしてしゃもじを授ける習わしがあります。
多賀巡り。
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