日本歴遊記vol.4
#歴遊旅 #鎌倉六伝説の旅
「鎌倉六伝説の旅」
①狐(佐助の旅)コースの舞台を歩いてみました
上巻・中巻の続きです
前回までのブログはこちら↓
▼企画の紹介
鎌倉六伝説の旅とは、当社が運営する鎌倉観光ガイドツアー企画です
古から脈々と鎌倉に伝わる各エリアの伝説の地を探しに「まち歩き」をします
「鎌倉六伝説」のコンプリート目指してチャレンジしてみましょう!!
大仏ハイキングコース
「樹ガーデン」を後にして、旅路に戻りました
再び大仏ハイキングコースを歩きます
大仏ハイキングコースは、登るときは、急な坂道を登りますが、登った後は、アップダウン少なめで、障害物が少なく、他のハイキングコースと比べても歩きやすいコースです
鎌倉名所の裏山を通れる事、ハイキングブームや登山ブームも影響してなのか、女性だけのハイカーも多くなりましたね
デートで名所を訪れた際に、彼氏に連れられたハイヒールの女の子も時々目にしますが、悲惨な状態なので、デートの成功のためには、スニーカーで鎌倉デートに誘う事をお勧めします(笑)
鎌倉市最高地点
「鎌倉は三方を山々で囲まれ、南側が海に面して開けた街」といわれますが、この山々で一番高いところは、どこかご存知でしょうか?
鎌倉市最高地点は、大平山(おおひらやま)の山頂、海抜159.2メートルです
※看板があります
天園ハイキングコースを歩いていくと辿り着けますよ~♪
鎌倉の歴史的な景観と自然溢れる風景の調和を楽しみながらハイキングするのは、特別な時間になること、間違いなしです
あったらいいな「鎌倉観光トロッコ」
これは、少し将来的な私のアイデアですが、鎌倉の山々を山岳列車(観光トロッコ)が走る街にしたいです
鎌倉の山々の地形を活かした、山岳観光ルート(鎌倉外環ルート)ができると歴史的地域資源のある岩瀬・今泉や十二所にも未だ訪れる方が少ないエリアへアクセスできます
※鎌倉に隣接する笠間・田谷・長尾台・公田・上郷なんかも歴史の宝庫です
また、観光者の動線のバリエーションが増えるので、渋滞問題の緩和にも役立つ可能性がありますよね
西側観光が発展してきた半面、外鎌倉や東側の観光資源をもっと活用してご紹介していきたいです
歩行困難な方でも鎌倉の自然に入り、鎌倉の歴史と自然を楽しんで頂けるそんなときが来る事に役立ちたいと考えております
いつもとは違うルートで名所を訪れる
大仏ハイキングコースを抜けると、鎌倉の名所「銭洗弁財天宇賀福神社」を目指します
一般の観光で訪れた際には、トンネルを通って、境内に入りますが、観光ルートとは少し異なる山岳ルートで訪れてみるのも違った楽しみ方ができると思います
銭洗弁財天宇賀福神社は、二方向に鳥居が立ち並んでいるのに気づいていた方は居ますか
お金を洗うことに必死であまり境内を観覧される方も少ないかもしれません
拝観した後に、鳥居の方角も見てみると面白いですよ
【銭洗弁財天宇賀福神社】
通称、「銭洗弁天」
正式には、「銭洗弁財天宇賀福神社(ぜにあらいべんざいてんうがふくじんじゃ)」という神社です
「銭洗弁財天」と「宇賀福神社」に分けて一拍入れてからいうと呼びやすいです(笑)
銭洗弁財天宇賀福神社の歴史
1185年、源頼朝が「巳年・巳の月・巳の日」に見た霊夢に従い、泉を発見し、宇賀神を祀った社を建立
1257年、5代執権「北条時頼」が、巳年に霊水で銭を洗い一族の繁栄を祈る
※銭洗の風習の始まりとなったと伝えられています
弁才天とは
弁才天とは・・・
Vol.3でも紹介した通り、仏教の守護神である天部のひとつです
弁才天は、ヒンドゥ教の女神(サラスバティ)が仏教に取り込まれた名前のようです
※弁才天は水の神
▼鎌倉・江の島七福神めぐりでも有名な「弁財天」
・旗上弁財天社(鶴岡八幡宮境内の源平池にあります)
・江島神社(江の島にある八角のお堂です)
弁才天は、財宝の神としての性格を持つようになると「弁財天」と書かれるようになりました
宇賀神とは
宇賀神とは・・・
宇賀神(うがじん)とは、中世以降、日本で信仰された神です。
人の頭、蛇の身体で、蜷局を巻く姿
※顔は翁だったり、女性だったり一様ではない
比叡山・延暦寺の天台宗の教学に取り入れられて、仏教の神(天)である弁才天と習合したと考えれているようです(神仏習合)
※この合一神は、「宇賀弁才天」とも呼ばれています
宇賀弁財天像は、弁財天の上に宇賀神がちょこんと乗っかる容姿をしています
神仏習合とは
神仏習合とは・・・
日本古来の神々と外来宗教の仏教とを結び付けた信仰のこと
奈良時代には、寺院に神が祀られたり、神社に神宮寺が建てられました
鎌倉の鶴岡八幡宮もかつては、「鶴岡八幡宮寺」であったようです
明治維新の「神仏分離」となるまで1000年以上神仏習合の時代が続いていました
神仏分離とは
神仏分離とは・・・
神仏習合を禁止し、神道と仏教、神と仏、神社と寺院を明確に区別させること
明治政府の宗教政策「神仏分離令」により起こった動きです
神社から仏教的な要素を排除しようとしました
歴史観光に参加する醍醐味
観光で歴史スポットに訪れた際に、色々な事に興味を持って、広げたり、掘り下げたりすると
日本の歴史だけではなく、時代時代の世界の出来事について、学びが繋がっていきますね
最初は、浅く広く歴史に興味をもっていくと、後で色々な事が繋がっていくので、
歴史スポットを巡って、興味関心のタネを発見しに出かける、そんな楽しみ方も歴史観光の醍醐味のひとつです
伝説の地へ
伝説の地、「霊狐の立ち並ぶ神域」を目指します
▼狐(佐助の旅)コースの伝説をここで改めて紹介
伊豆の蛭ヶ小島に流されていた源頼朝が病に倒れたとき、「かくれ里の稲荷」という神霊が夢に立ち、挙兵をすすめました。源頼朝は、このお告げに従い兵を挙げて、戦いに勝利。のちに「かくれ里」の地で祠を見つけた源頼朝は、畠山重忠に命じて社を建立させました。
※諸説あり。
【佐助稲荷神社】
まずは、下社をお参りして、赤い鳥居が50基程立ち並ぶ階段をくぐりながら上っていきます
本殿の前まで上るとその光景は、
赤い旗と鳥居、苔むした祠、ごつごつした岩山に並ぶ無数の白狐が、霊験あらたかな地!!
佐助の由来
源頼朝が、幼少の頃、佐殿(すけどの)といわれていて、その頼朝を助けたので「佐助」の名を付けたと伝えられています
霊狐泉(れいこせん)
佐助の稲荷山は、古来より、麓の田畑を潤す水源の池でした
生命の基のこの湧水を人々は「霊狐の神水」と称え、家々の神棚に供えて稲荷のご神徳を頂き、現在も絶えず湧き出る霊狐の泉です
狐(佐助の旅)コースは如何でしたでしょうか。
鎌倉の歴史観光を通じて、様々な発見や出会いがありますので、ご参加おましておりま~す♪
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